AI美空ひばり

昨年末の紅白歌合戦に登場したAI美空ひばりについて山下達郎が「冒涜」とコメントしたことがニュースになっていました。

「冒涜」以上に具体的なコメントはなく、リスナーからの否定的な意見に同調しただけのことなんですけど、実は私も見ていた時に同じようなことを思いました。

CGが中途半端だったのはともかく(笑)、AIを駆使して再現したボーカルは確かにかなり美空ひばりっぽかったし、技術力に面では感心するばかりなんですけど、再現されたボーカルはあくまで「美空ひばりっぽい音」でしかなく、美空ひばり本人の声ではありません。曲間にあったメッセージも音は美空ひばりに近くても、実際に美空ひばりの想いから出た言葉ではなく、周りが言わせたかった言葉を音にしただけ。遺族も協力してるとはいえ、ご本人の意思を尊重してるわけではない、むしろ尊厳を傷つけてると言えるかもしれません。

それでもあのAIで感動した方も多くいらっしゃったようなので一概に全面否定まではしませんけど、なんか、クローン技術とか遺伝子操作とかのような倫理的に踏み入れちゃいけない神の領域を犯してるんじゃないかなーって感じたんですよね。

亡くなられた後も多くのファンがいるアーティストはたくさんいます。例えばジョン・レノンとか、石原裕次郎とか。仮にAIでジョン・レノンのボーカルを再現してジョンが作りそうな曲を作ってAIに歌わせたところでそれってなんか違うって思うし、CGとAIで石原裕次郎を再現した映画を作っても、やっぱりそれってなんか違うって思う。

別パターンとして、再結成が絶望的なBOØWYを布袋の作った曲でAI氷室に歌わせたら氷室は絶対「勝手なことすんな」ってなるでしょう。

亡くなってしまったのは残念だし、また声を聞きたいという思いもわかるけど、故人の尊厳を勝手に改変して疑似体験するのって自分勝手すぎるような気が。

そういう意味ではやはりAI美空ひばりは故人への冒涜ではないかと思います。

 

ミルクボーイ

昨日、久しぶりにM1グランプリを見ました。

ミルクボーイ、おもしろかったですねぇ。

ネタで軽くディスられたコーンフレーク・もなかの関係者にも好評だったみたいで、今後のネタも楽しみです。

 

で、見終わってから早速YouYubeでミルクボーイのネタをいくつか見ました。

基本、同じパターンなんですね。

まぁあれならいくらでもネタはひねり出せそうですけど、あまりあのパターンばかりでも今後はどうなんだろうという心配も多少。

一気にブレイクして翌年には消えているってこと、多々ありますしね。

 

芸人の世界は売れるのも大変だけど、持続させるのも大変ですなぁ。

 

パーフェクトワールド

昨夜、最終回を迎えたドラマ「パーフェクトワールド」

過去に同じ原作で映画化もされていたそうですが、私はそれを知らず、原作も読んだことがないので、予備知識ナシで興味深く観させていただきました。

大学生の時に交通事故で下半身不随となった鮎川と、高校の同級生で当時鮎川に片思いしていたつぐみが偶然再会し、困難を乗り越えて愛を育む純愛ラブストーリー。

ざっくり言えばこんなあらすじなんですが、作品の大きなテーマとなっているのが「障がい」。鮎川は車椅子生活で、ある程度の生活は自力でできるものの、やはり一人だけではできないことも多く、他人の介助がどうしても必要。そのくらいなら私でも想像はできるんですが、このドラマでは鮎川がつぐみに「うんこ漏らす」と告げたり、実際に失禁してそれをつぐみに見られたくない気持ちなど、排泄に関しての描写や、つぐみが鮎川に今夜は帰りたくないと告げてもそれに応えられない(つまりセックスできない)、子どもは欲しいが体外受精になる、などの性に関する描写など、他に障がいをテーマにしたドラマより更に踏み込んだシーンがいくつか見られました。その他にも下半身不随であるが故に立ちはだかる困難が多く盛り込まれ、また、障がい者との交際を反対するつぐみの父、障がい者とは付き合えないとバッサリ切り捨てるつぐみの妹など、障がい者への偏見があったり、純愛ラブストーリーにしては厳しすぎるくらいのハードルが描かれていました。

最初は鮎川の使っている車椅子がOXエンジニアリング製だとか、そんなところに目が行ってたのが、物語りが進むにつれ健常者ではなかなか気付けないところを目の当たりにしてハッとすることが多くなりました。

また、障がい者との交際を反対するつぐみの父の気持ちというのも、実際に自分自身が子を持つ親であるので他人事ではないように感じて、もし自分の子どもたちが障がい者との結婚を望んだ時に、一番大事なのは当人同士の気持ちだという理想と、やはり健常者より苦労するんだからという現実で、果たして自分はどう向き合うのかということも考えさせられました。

ドラマとは関係ありませんが、先日クルマを運転していて交差点で止まった時にふと横に見えた会社のエントランスが、明らかに自力では登れないだろうと思われる急な傾斜のスロープ、そしてスロープを登って入口ドアに続く通路に自動販売機が設置してあってどう考えても車椅子が通れるスペースがない、という正にポーズだけのバリアフリーでした。ハナから車椅子を迎え入れる気がない、むしろ拒絶するかのようなその光景に、大通りに面した会社がこんなエントランスを晒して恥ずかしくないのかな、と思ってしまいました。

頭の中ではわかっているつもりでも、当事者にならなければ気付けないことはいっぱいあります。だからこそ知る努力も必要。助け合う気持ちも必要。

「いつかこのドラマがただのありふれたラブストーリーになりますように。」

パーフェクトワールドのトップに刻まれた言葉、本当にそうなってほしいなと思いました。

 

なぜ被害者が卒業するのか

暴行事件が問題となっていたNGT48、21日に行われた公演で被害を訴えていた渦中の山口真帆さんと山口さんに同調するメンバー2名がNGT48を卒業することが発表されました。

えーと、これってどういうことなんでしょうね。

普通、暴行を加えた加害者、そしてその裏で手を引いていた一部のメンバーが諸悪の根源だと思うのですが、加害者が起訴されることもなく、メンバーが処分されることもなく、何も悪くない山口さんが卒業という名目の処分を受けるのを誰が納得できるというのか、運営は何を守ろうとしているのか、今回の対応はまったくもって不可解です。

誰か、これを正当だと思ってる人、います?

ネットでは運営に対する辛辣な意見が流れていて、中には「NGT48はもう新潟に関わるな」なんて厳しい声も。

それでも応援したいというファンにしても、仲間に暴行をけしかけたメンバーがいる状態で今までのように応援できるものでしょうか。私は特に積極的に応援してたわけじゃないですけど、同じようにファンまでいかなくとも少なからず新潟という地域を盛り上げる一助と期待していた多くの人たちも今までのようにNGT48に期待していくことは難しいでしょう。実際、県や市には広報活動にNGT48を使わないでという意見も多数寄せられているとか。

 

「正直者が馬鹿を見る」ということなのでしょうか。

勇気を出してレイプされたことを告白したのに、それが報われるどころかバッシングの対象にされてしまう。暴行されたことを勇気を持って告白したのに悪者扱いされて追い出される。構図は同じですよね。

これまで何人もの女性が(女性に限らずですが)恐怖や悲しみを乗り越えて正義を貫こうとしてきたのに、この国の社会はさっぱり変わらない。権力者の顔色を窺って忖度し、黒を白に変えてしまう社会。

NGT48の運営も同じなのかもしれません。もしそうじゃないと言うなら、誰もが納得できる正しい判断を下すべき。

正直者が報われる社会を望みます。

 

作品に罪はない

ピエール瀧が麻薬取締法違反の疑いで逮捕されたことで、出演作品の放送・上映中止や音楽作品の販売中止・回収など、波紋が広がっています。つい最近にも俳優が逮捕された際に同じような動きがありました。

もちろん、薬物や暴行などは絶対にやってはいけないことだし、罪が事実なら擁護もできないし、しかるべき裁きを受けるのは当然という大前提のもとで、ですが・・・

当人の関わった作品を自粛するというのは違和感があります。

だってその作品自体に罪はないじゃないですか。

ピエール瀧が出演していた映画を見たことをきっかけに薬物に手を出すということもないし、電気グルーヴの音楽を聴くと薬物使用を助長することもありませんよね。現在進行形&これからの作品について制限を受けるのはわかりますけど、過去の作品にまで遡って自粛するのはちょっと違う気がします。

なんだか最近は何か問題を起こすとフルボッコって傾向が強いですよね。

こんなことを言うと罪を許容してるように思われるかもしれませんが、それは断じてありません。罪は罪。悪いことは悪いです。

ただ、これまで歩んできた道までも全て否定して、ヘタすればこれから歩む更生の道すら否定しかねないような叩き方というのは単に視聴率や部数を稼ぎたいマスコミが煽ってフルボッコにしてるだけ、という面が強い気がします。

その一方で実名を公表してレイプ被害を訴えた女性の加害者である元TBS記者が未だに逮捕も起訴もされずにいるという理不尽。わいせつ事件を起こしたタレントが一般的に使われる容疑者ではなくメンバーと報じられた忖度。

叩きやすいヤツをこれでもかと叩き、逆らうと後が怖いお上には忖度するマスコミって報道機関として機能してないんじゃないですか?

隠蔽や虚偽のオンパレードな総理大臣が国のトップを務めてるからなんでしょうかねぇ・・・・。