本末転倒な九州電力

九州電力が太陽光発電の供給量が増えて、需給バランスが崩れ、大規模停電を起すかもしれないということで、太陽光発電事業者の一部に発電の停止を求める「出力制御」を実施しました。明日の14日も今日と同じく天気が良くて太陽光発電の供給量が増えそうということで2日連続の出力制御に踏み切るそうです。

電気の需給バランスが崩れて大規模停電と言えば、先日の北海道の地震で起きたブラックアウトが正にそれでした。夜間電力の大部分を担っていた苫東厚真火力発電所が地震で停止し、需給バランスが大きく崩れたために他の発電所も設備保護のために順次停止し、北海道全域で大規模な停電に陥ってしまいました。

今回の九州電力の場合は太陽光発電供給量が増えすぎて需給バランスが崩れるということなので北海道の「供給<消費」とは逆の「供給>消費」というパターンになりますが、バランスが崩れるという点で仕組みは同じです。

じゃあ太陽光での発電量が増えたなら九州電力自体が行ってる発電を抑制すればいいじゃんって話なのですが、九州電力では玄海原発の3・4号機と川内原発の1・2号機が稼働中で、ご存じのように原発というのは細かい発電量の調整が効かない、原則として動かしっぱなしな発電方法ですので、2日間だけ停止あるいは出力低下っていう対応ができないんですね。太陽光発電もお天道様任せなので発電量の調整というのはできないんですが、太陽光で発電した電気は九州電力が買い取るというシステムだと思いますので、胴元である九州電力様に刃向うことは許されないヤ○ザな世界。「お前らが折れろ」と言われれば従うしかないのです。

しかし、多くの方が思ったことでしょう。「そこまで太陽光発電の供給量があるなら原発止めれば?」と。

2011年の福島第一原発事故以降、脱原発思考や再生可能エネルギーの技術発達・普及は大きく進みました。この7年で再生可能エネルギーの量は2011年以前と比べ物にならないほどに増えています。一旦事故が起こったら広い範囲に影響を及ぼす原発のリスク、原油や天然ガスなどの資源に乏しい日本の事情などを考えれば、再生可能エネルギーの普及促進こそ国策とすべきもの。しかし、この国は原発から脱却することなく今も全国の原発を再稼働させようとしています。使用済み核燃料の処分方法も決まらないまま。

先ほど書いたように太陽光発電はお天道様任せなので原発のようなベースロード電源には適しません。今年は台風でソーラーパネルが飛ばされたり、大雨による土砂崩れでソーラーパネルが壊れたりするケースも多々ありましたから、太陽光発電にだけ集中するのもリスクがあります。しかし、風力や水力といった他の再生可能エネルギーと組み合わせたり、日中に発電した電気で水素を作って夜間に水素から電気を作るR水素という一種の蓄電とも言える仕組みを取り入れたり、再生可能エネルギーのポテンシャルはまだまだ高められるし、日本はそれで世界をリードできる技術力もあるはず。そして、環境的に太陽光発電が有利な九州地方では既に原発を動かす必要がないくらいの太陽光発電の供給量があるのです。

これ、九州電力、あるいは国が「原発やめて再生可能エネルギーにシフトします」と決めさえすればすぐにでも可能なことですよね。

なのに「原発止められないから太陽光発電止めてね」というのは本末転倒と言うよりありません。

玄海原発も川内原発も、そして先日運転差し止めの仮処分が取り消されて再稼働に進んでいる伊方原発なんかも、様々なリスクが指摘されてますよね。トラブルが起きてないうちはいいでしょうけど、事故が起こるなんて考えもしてなかった福島第一原発で事故は起きたわけですから、何か起きてから後悔するのではなく、何か起きる前に後悔の元をなくしていくという方向に変えられないものなのでしょうか。

九州の太陽光発電事業者もいい迷惑ですね。




盛り上がらない市長選

10月14日に新潟市長選挙が告示されます。

現時点で立候補を表明しているのは、元新潟市北区長の飯野晋氏、元新潟市議会議員の小柳聡氏、元参議院議員の中原八一氏、元新潟市議会議員の吉田孝志氏の4人。

現職の篠田昭氏は立候補せず今期で退任するということで、16年ぶりの新人同士の争いとなる様相とのことですが、まぁハッキリ言って今回の市長選は盛り上がりに欠ける。

選挙の争点としては、市の財政立て直しやBRTなどありますが、篠田氏が出ないということで篠田市政の是非を問うものでもないし、篠田市政を踏襲すると言ってる候補もいないので、まったく新しい方針の元で誰を選ぶか、という形になると思います。が、正直どの候補もパッとしないと言うか(汗)絶対この人がいい!or絶対この人はイヤ!というわかりやすさがない。自民系は中原氏と吉田氏の2人が早い段階で立候補表明してましたが、最後まで一本化できずに票が割れることは確実。アンチ自民なら野党連合が推す小柳氏になるのでしょうけど、正直小柳氏については未知数な部分が多い。結局なんとなくぼんやりとしたイメージのまま、激しい戦いも起こらず、低い投票率で終わりそうな予感がします。

これで篠田氏が出るなら明確に「篠田No!」を突き付けて、これまでの愚政を追求できるところなのですが、出たら出たでなんとなく名前知ってるから~って理由で篠田氏に入れちゃう人もいるでしょうから、よくわからないまま5期目なんて最悪のパターンを逃れられただけでも良しとしなければいけないのでしょうか。

知名度だけで言えば中原氏と吉田氏が強い(というほどでもないのだが)でしょうから、あとは泉田さんがどっちの支援に回るのかで決まっちゃうかなぁ。

小柳氏ももっと野党共闘と連携して早めにアピールしないと~。




Google+の終焉

Google+

Google+(グーグルプラス)が2019年8月で個人向けサービスを終了する、と。

終了するのは個人向けで、企業向けサービスは継続とのことですけど、個人ユーザーがいなければそもそも広告発信の場として成り立つのかってちょっと疑問。

まぁ、ぶっちゃけ流行ってなかったですからねぇ。

私の廻りでもTwitterやFacebookを使ってる方はたくさんいますけど、Google+やってるって人、聞いたことないですもん。

私自身も一応アカウントはありますけどほぼ放置状態ですし。

検索エンジンやAndroid OSでは強いGoogleもSNSはどうにもヒットが出ませんね。これで世界的に見ればFacebook一人勝ちってとこでしょうか。Twitterは我が道を行くって感じ?(笑)

新しい技術やサービスが登場しては淘汰されていくのがネットの世界。何に乗って何を切り捨てるのか、今後もどんどん変化していくんでしょうね。

私はTwitterが今のまま続いてくれればそれでいいや。




不寛容な社会

先日、熊本市議会でのど飴をなめていたことを理由に市議会から退席を命じられた、という件がありました。

退席を命じられたのは緒方夕佳議員。緒方議員は1年前の2017年11月にも生後7ヶ月の長男を連れて議会に出席したことで退席を求められたことがあります。

えーっとねぇ、世知辛いと言うか何と言うか、熊本市議の皆さんは融通の利かない人ばっかりなんでしょうかねぇ。

だって「のど飴」ですよ?パリパリとポテチ食ってたとかクチャクチャとガム噛んでたとかじゃないんですよ?体調不良で咳が止まらなかったためにのど飴なめてただけなのに、「品位の尊重に触れる」って何なんでしょう。一般の企業でも仕事中にのど飴なめてて怒られることなんてないでしょうし、むしろ国会でグースカ寝てる議員の方がよっぽど退席を命じたいくらいですよ。

で、この背景にあるのはどうやら1年前の赤ちゃん連れてきた件が尾を引いてる感じです。あの件では海外でも大きく報じられて時代錯誤だと非難されたために、どうやらそれを熊本市議の皆さんは根に持ってるようなんですね。イギリスのガーディアン紙のインタビューで「(1年前の件で)議員たちは自らの態度が時代遅れだと非難され、気分を害しています。それ以来、私が自己中心的で理不尽な振る舞いをしているかのように描きたがっています」と緒方議員が答えているように、重箱の隅をつつくようなネタで緒方議員を追い込みたいという思惑が透けて見えます。

はぁ、なんとみっともない大人でしょう。

これ、ほぼ「いじめ」ですよね。

本来なら1年前に受けた批判で自分たちの古い考えを改め、襟を正すところなのに、1年前の反省はおろかまた同じようなことで海外から非難を浴びるとは、学習能力に欠ける、もっと言えば彼らこそ「品位の尊重に触れる」のではないでしょうか。

 

この件に限らずですけど、何だかんだ言って今の時代はやっぱり不寛容がまかり通ってるな、と思います。

建前として女性の社会進出とか子育て支援とか言っておきながら、それらを整備していく立場の人たちがこんな不寛容さ(そして幼稚さ)では、建前としてのスローガンなんて絵に描いた餅ですよ。

いいじゃないですか、のど飴くらい。何でもアリでは困るけど、のど飴なめてて議会運営に何か支障ある?他に議論しなきゃいけないこと、もっとあるでしょう。

 

もっと大きな心でどーんと構えて、「のど飴、オレも持ってるからあげるよ」くらい言える懐の深さが欲しいものですね。




三億円事件を実行したのは私です

あ、私じゃないです(汗)

三億円事件が発生した1968年ってまだ私は生まれてませんので。

 

そういうことではなくて、小説投稿サイト「小説家になろう」に投稿された

「府中三億円事件を計画・実行したのは私です。」

という手記が話題になってるのです。

 

三億円事件は1968年12月に東京都府中市で起こった東京芝浦電気(現在の東芝)従業員のボーナスを積んだ現金輸送車(とは言っても普通のセダン)が奪われた事件。当時、世間を大きく騒がせた事件にもかかわらず犯人は捕まらず、未解決のまま現在は時効が成立しています。当時の三億円は現在の価値に換算すると10億とも20億とも言われ、貨幣価値では現時点でも過去最高金額とのこと。

三億円事件って結構な方がご存じですよね。この事件をモチーフとした映画やドラマ、検証番組なんかが度々作られてますので、若い世代でも事件の名称くらいは聞いたことがあると思います。私もさほど詳しくはありませんが大まかな概要は知ってます。

で、三億円事件は遺留品が数多く残されていたにもかかわらず犯人に辿り着けなかった謎の多い事件で、過去にも自称犯人が名乗り出たことがあったそうですが、結局今に至るまで真犯人は謎のまま。

そこに手記「府中三億円事件を計画・実行したのは私です。」が出てきたわけですよ。

私も手記を読んでみました。結末が早く知りたかったので最初はサラッと、内容を把握した上でもう一度読み返しました。

手記に書かれている内容は非常にリアリティがあり、ネットでも「真犯人じゃね?」と話題騒然。しかし投稿した「白田」と名乗る人物の素性が明らかにされていないことや、事件で明らかになっている事項からイメージを膨らませた創作である可能性もあることからフィクションと受け取る声も多々。

私はねぇ・・・うーん、わかんない(笑)

この手記が真実かどうかを判断するキーとなるのは、警察からも発表されていない「通常とは異なる手法で点火されたとされる発煙筒の点火方法」と「残されたジュラルミンケースに残されたあるモノの正体」の2つかと思いますが、手記にはこの2つの内容が明確に書かれており、警察が把握しているこれらの内容が合致するなら真犯人である可能性は高くなります。が、それも創作の内容が偶然一致したとなれば必ずしも真犯人とは言い切れず、2つのキーだけではなかなか判断ができないのかも。

しかし、フィクションだったとしても素人作家にしてはおもしろい内容だったと思います。

そして、私が気になったのはその2つのキーよりも犯行の「動機」です。学生運動が盛んだった当時を知らない私としてはその頃の世間の空気とか学生の思考とかはよくわからないのですが、手記に書かれている内容では動機らしい動機が具体的には書かれていません。抽象的に「熱量」という言葉が登場してますが、熱量というワードだけで三億円もの大金を強奪するなんて大犯罪を犯す動機とするのは私には違和感があるんですね。学生運動が過熱していく中で暴力行為や犯罪へエスカレートしていった流れはなんとなくわかってはいるのですが、それらも当時の若者の「熱量」として片付けるのはどうにも腑に落ちない。愛する女性と大金を奪うという目的がありながら、その先をまったく考えてない白田。若気の至りとしてもやはり「熱量」でそこまでするか?という思いが拭えません。

現在40代の私から見て最近の若い世代は元気がないなと思うことは少なからずあったりして、私が10代の頃は暴走族もいっぱいいたし、学校や家庭で暴力をふるう不良も多かった時代。それに比べたら今の若者は血気がないと言えるかもしれませんし、学生運動全盛期を生きた世代から見たら私ら世代も血気がないと見えるのかもしれません。その世代間ギャップを1968年当時にスライドさせたとしても、自分の置かれた環境や世の中への不満を解消するために大金を強奪するという方向に向かう感覚がどうにも理解できない。著者の息子さんも「全く持って意味不明」と述べたように、この「熱量」というワードは当時を生きた人でないと理解できない感覚なのかもしれません。

そういう意味でもおもしろい読み物で、戦後から自分の生まれる前までの時代背景にも非常に興味を引かれました。

まだお読みになってない方は一度読んでみてください。

 

で・・・・仮に手記が真実だとすれば、一番気掛かりなのは少年Sが死亡した真相です。関与したであろう少年Sの父親は年齢的に既に亡くなっている可能性もありますが、関与したのであれば少年Sの父親も真実を知っていたはずで、警察官であった父親が事件解決のための証拠を隠蔽したとなれば大問題。警察も失態を隠すために真犯人を逮捕しなかった可能性が出てきますが、それにしては事件後の捜査があまりにも長期で広範囲すぎます。

この手記の先に真犯人も知らない最後の真実があるのかもしれません・・・・。