太陽光発電、買い取り料金2倍に

先ほどYahooのニュースを見てたらこんな記事が。

家庭の太陽光発電、買い取り料金2倍に 経産省が制度創設
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090224-00000552-san-soci

ヨーロッパのエネルギー先進国では国で買取り金額を電力会社に義務付けたり、導入への補助を行ったりした結果、太陽光先進国であった日本よりはるかに高い自然エネルギー率を誇っています。
今年になって日本でも太陽光発電設備への補助が再開されたり(ウチは微妙にタイミング外しましたw)、このような買取り料金の増額など、ようやくヨーロッパの流れを見習うような動きが出てきて、大変良いことだと思います(もちろん買取り料金が上がったからと言ってその分電気を使ってしまっては本末転倒ですけどね)。

太陽光発電を導入したくても踏み切れないでいる人は多いと思いますが、一番の理由は導入コストとその分を回収できる期間の長さでしょう。現状では回収までに15~20年と言われてますのでこれでは普及しないのもムリはありません。それが記事では補助と買取りを併用すれば10年で回収できるとありますので現状の半分~2/3になるわけですが、更に設備の価格をもっと下げて5年程度で回収できるくらいにまでなれば、爆発的に普及が進むのではないでしょうか。やはりいくら地球のためとは言え、ボランティア精神だけでウン百万出す人は限られますので、損得天秤にかけて得な方に流れるようにアメを用意しなければダメでしょうしね。

問題は設備費用をいかに下げるということですが、これはもう電力会社自らが太陽光発電設備に投資していくのが一番早いのではないかと。1世帯1世帯が個々でやるよりはるかに規模は大きいはずだし、発電した電力は自分たちが売るわけだから設備投資分で損するわけでもありません。それだけの規模で進めれば量産効果は今よりもっと加速するはず。

もっと言えば「設置の費用は半分負担しますから、お宅の屋根を提供してくれませんか?」ってのはどうでしょう。都心では太陽光パネルをまとめて設置できる場所が限られますから、一般住宅に協力してもらってその地域で使う電力のいくらかをその場所でまかなえればバカにできない送電ロスも抑えられるし、電気の「地産地消」が可能になります。原子力発電を完全にゼロにするのは現状では難しいかもしれませんが、地盤や安全性に疑問のある柏崎刈羽原発をムリして稼動させて大きなロスを捨てて関東へ送電するよりは、柏崎刈羽原発自体を廃止して関東で安全に発電できる方向へシフトした方が将来的にも大きな資産になるのではないでしょうか(そもそも関東で消費する東京電力の電気を原子力使って新潟で発電すんなよって話なんですが)。

また、先日届いたJAFメイトの記事でもEV(電気自動車)普及へのアイディアで「政府がEV100万台需要をメーカーに保証する」というものがありました。政府が保証することでメーカーはリスクを負わずにEVの開発・販売ができ、それによって量産効果でEVの価格も下がり、100万台完売すれば政府の出費も最終的にゼロになる、という素晴らしいアイディアなのですが、このアイディアの一番素晴らしいところは「誰も損をしない」ということです。クルマが売れてメーカーはハッピー、下請け業者も仕事が増えてハッピー、仕事が増えれば雇用も増えて労働者もハッピー、クルマが安くなってユーザーもハッピー、国もお金がかからず国民も喜んでハッピー、EVの普及でCO2排出量も減って地球もハッピー、みんながハッピーです。

JAFメイトでは定額給付金より経済効果は高いと書いていましたが、私もそう思います。麻生さんも今からでも遅くないからこういう妙案を打ち出せば内閣支持率もウナギ登りなんでしょうけどね~~~。

・・・・・・と話が逸れましたが、太陽光発電にも同じアイディアは使えるのではないかと。
パネルが売れてメーカーはハッピー、施工業者も仕事が増えてハッピー、仕事が増えれば雇用も増えて労働者もハッピー、設備費用が安くなってユーザーもハッピー、国もお金がかからず国民も喜んでハッピー、太陽光の普及でCO2排出量も減って地球もハッピー、みんながハッピーです。
ん・・・・?電気が売れなくなると電力会社はハッピーにならないのか・・・・?

既に導入した我が家としては後から安くなるのは若干悔しいですけど(笑)、地球のために、未来の子供たちのために、We can CHANGE!

直すか・買い替えか

この前ヨメさんが息子のズボンが壊れたとそれを持って私のトコへ。
ズボンが「破れた」ならわかるけど「壊れた」ってどーゆーことよ、と思ったらジッパーのつまむ部分(なんていう名前なんだろ?)が外れていました。どーやったらこんなことになるのか、どんだけ力入れて引っぱっとんねんっ!という感じです。なんとか元通りにならないかと頑張ってみましたがどーにもならず、しかし壊れたジッパー以外は破れている箇所も無いしこのまま捨ててしまうのはMOTTAINAIので、いつもお世話になってるクリーニング屋さんで洋服直しをやってたので相談してみたら「直せますよ」ということで預けてきました。

後日、「そういやあのズボンどうなった?」とヨメさんに聞いたら「ちゃんと直ったよ」とのことで、直すのにいくらかかったと聞いたら「2000円かからないくらいだったかな?」との返事。

ジッパー直すのに2000円・・・・・う~ん、微妙。

お子さんがいるご家庭ならわかると思いますが、子供のズボンなんてユニクロとかしまむらとか行けば新品が2000円くらいで買えたりします。大量生産の商品としてのズボンとジッパーを直す手間賃が同じ2000円。なんだか現代の消費社会を象徴しているように私は感じました。

テレビやビデオデッキが壊れた時に家電屋さんへ修理に持って行くと「直すより買った方が安いですよ」と言われることがよくあります。以前、リビングのテレビが調子悪くて持って行った時にもやはりそう言われました。家を新築して引っ越してすぐくらいに扇風機がいるなって話になってホームセンターで安物の扇風機を買ってきたのですが、子供がコードを引っ掛けて倒した時に3枚あるブレード(羽)の1つが割れてしまい、買ったホームセンターにブレードだけ部品で買えるかと聞いたら扇風機の値段より高いと言われました。

テレビはヨメさんが学生の頃から使ってる古いブラウン管ですが「直せるなら直してください」と修理してもらい、地デジ化がせまる現在も我が家のリビングで活躍しております。扇風機は本体より高いブレードを取寄せてもらい、毎年夏には我々家族に涼しい風を送ってくれています。直ったズボンはもちろん今でも息子が履いていますし、このまま破れたりせずに小さくなったら友達の子供にあげようと思っています。

家電でも服でもクルマでも新しいのを買う時はとても楽しいし嬉しいことです。現代社会は消費することを前提に経済が回っています。しかし「買った方が安い」といって使えるものを捨てていれば最後にそのツケは自分たちに帰ってきて、その結果が今のゴミ問題とか環境破壊とか地球温暖化なんだと思います。
先日セブンイレブンが期限切れ間近の弁当を値引きして売ってた店へ圧力をかけたと独禁法がどーのこーのというニュースがありましたが、ムダに捨ててしまうなら利益が減ってでも誰かのお腹の中に入った方がいいに決まっています。

そろそろ大量消費から「直して使う」「使えるものは捨てない」という流れになって、ジッパーの修理代2000円にその価値を見出してくれる人が増え、ジッパー修理がビジネスとして成り立つ社会になってくれるといいのですが。

モノが安すぎなんですかね。

醜態辞任

先週と打って変わって今週は雪の新潟市。昨日から屋根の上のソーラーパネルちゃんはずっとお休みしちゃって自給率ゼロ%が続いてます。まーこればっかりはお天道様に命運を委ねてるので仕方ないんですけどね。冬場の事を考えたらガス併用のまま太陽光発電導入でも良かったかもしれません。できれば太陽光が稼動しない分をリカバリーできるような風力発電がリーズナブルになってくれると嬉しいのですが。

さて、中川さん。お昼の記者会見で辞意を表明したようですね。

ニュースやワイドショーでG7の映像見ましたが、あれは何回見ても酔っ払ってるよーにしか見えませんもんねぇ。おんなじ状態になってる人は居酒屋でよく見るし、最近もあんな人のお相手をしたようなしないような・・・・ま、それはいいか。で、本人は風邪薬のせいみたいに言ってますが、服用してあんな状態になる風邪薬は問題だろって意見もあるよーで、実際そうならそれは確かに問題。麻生さんの任命責任と合わせて製薬会社の名前を公表しろとかってまた脱線論議&国会空転に発展しそうな気もしますね。

でも私的にはお酒だろうが風邪薬だろうがその辺りはどーでもよくて、あんな状態の中川さんを止めるか代理を出すかしなかった周りにいた人の方が問題なんじゃないかと。まさか会見が始まる前まではシャキッとしてて、始まると同時に酔っ払ったってことではないでしょう。それとも酔っててもなんとかなるって思ったんでしょうか(←酔ってたコトにしちゃってるしw)。大臣だって人間なんだから酔っ払うこともあるし風邪だってひくし、表に出さなきゃこんな騒ぎにならなかったのにねぇ。

しかし、醜態晒して辞任だなんて・・・・・読み間違いで支持率低下と同じくらいレベルの低い話です。

未曾有

リーマンショックから続く世界的不況、そして麻生首相の読み間違いから早くも今年の流行語大賞にノミネートされそうな勢いの「未曾有」という単語。新聞はもちろん、ニュースのテロップなんかでもハンザツ・・・・じゃなくて頻繁に目にするようになりました。

麻生さんの読解力はそのまま内閣支持率低下というとてつもない負のパワーを発揮していますが、困ったことにそのパワーが私の頭の中まで侵食してしまい「未曾有」という単語を見る度に「みぞうゆう」と読んでしまいそうになります。

なんかね・・・・すごく刷り込まれちゃってるのよ、みぞうゆう

ちなみに先ほどYahooで「麻生首相」と検索したら検索候補に「麻生首相 読み間違い」「麻生首相 漢字テスト」「麻生首相 未曾有」なんてのが出てました。どんだけおバカぶりを調べられてるんだってーのっ(笑)

このおバカパワーが日本の子供たちにまで及ぶ前に早いとこ解散総選挙をお願いしたいと思う今日この頃です。

派遣切り

昨年暮れから大騒ぎになっている派遣切り。
今になってもニュースや新聞で●●社が▲▲人削減とか■■社が期間従業員をゼロへとか出てくるのは良くなるどころか悪くなる話ばかりで、今日なんかも大手企業で社員の削減にまで踏み切るところも相次いでるようで、この先いったいどーなっちゃうんだろうって感じです。

先日、仲間内での飲み会でもそんな話が出たんですけど、その時は「いつでも切れるのが派遣なんだから切られて文句言うのはおかしい」「切られるのがイヤだったら社員になればいいのにならなかった方が悪い」「住む家がなくなったのなら実家に帰ればいい」など、派遣を擁護する声は皆無で、それに対して確かに大筋では私も同意なんですけど、なんだか違和感みたいなのを感じて「そうだそうだ」とは言えない気分でした。

だって、もし自分や自分の家族・親族・友人・恋人がその立場だったとしたら・・・・やっぱ思うコトは変ってくるんじゃない?

私は派遣ではありませんが一般の会社に勤めているワケじゃないですからいつ仕事が無くなってもおかしくないって点では派遣とそれほど変らないし、ウチのヨメさんだってパートですから条件的には派遣と何ら変りません。もちろん私もヨメさんも自ら選んでこのポジションにいるワケですから、仕事が無くなってもパートをクビになっても誰かに文句を言うつもりはありませんけど、愚痴くらいは言うでしょう。ローンが払えなくなって自宅を明け渡さなければならなくなったら自業自得とは言え「せめて次の仕事とアパートが決まるまで待っておくんなせぇお代官様~」と懇願するに違いありません。まぁ、当然そうならないために日々努力してるワケですが、そんな可能性を100%否定できない自分は派遣切りになった人に「お前が悪いんじゃん」って一言だけで片付けられないって言うか・・・・なんか複雑なんですよねぇ。

その一方で派遣を切った企業は切られた人やマスコミから言いたい放題言われてるワケですが、一方的に会社が悪いみたいな風潮もどうなのかとやはりここでも違和感を感じます。ウチには社員も派遣もバイトもいませんから切ること自体がありませんけど、これが社員を何人も抱えて業績も悪化しているようだったら同じように切れるところから切ってると思います。でも派遣を切ってる会社の全てが血も涙もない冷酷人事をしているかと言えばそうとも言い切れないでしょう。中にはそういう会社もあるでしょうが、自分の会社を助けてきてくれた人に「辞めてくれ」って言うのは言う方だって切ないですよ。もし将来自分自身にそういうことがあるんじゃないかと想像すると胃が痛くなります。

で、これら一連の派遣切りを見ていて思い出したのが「トロッコ問題」

トロッコ問題というのは去年の11月にビートたけしの特番の告知で紹介されていたので覚えている方も多いでしょう。私もそれで初めて知ったんですけど概要としては「壊れて制御できなくなったトロッコが線路を暴走。その線路の先には事態を知らない5人の人が立っている。5人の手前には分岐点があり、それを自分が切り替えれば別路線に引き込むことができるが、その先にも別の1人が立っている。この時分岐を切り替えるべきかどうか」という問題で、要は5人を助けるために1人を犠牲にしてもいいか、ということです。
「5人と1人なら5人を助けるべき」という意見もあれば「本来死なずに済んだ1人を犠牲にしてはいけない」という意見もあり、はたまたその命運を分ける選択を自分がするのか・していいのか・どちらを選ぶべきなのか、など解釈や考え方によって様々な意見があり、実際にこの問題には正解となる答えは用意されていません。他に「カルネアデスの板」「臓器くじ」「冷たい方程式」などの似たような問題もありますが、どれも答えに困るものばかりです。

派遣切りをする会社側からすれば「会社を存続させ社員を守るためには派遣切りもやむなし」というのは正論で、切られる前提の派遣が文句を言うのは確かにお門違いでしょう。トロッコ問題でも数の原理からすれば5人を助けて1人に犠牲になってもらうのが正論かもしれません。でも、もしその1人が自分の友人とか家族だったら・・・・と考えるとそれが大正解!とも思えないし、その判断をするのが自分だったらどっちを選んでもいい気分はしません。

なんか論点がズレてきちゃったみたいですが、自分で商売してると人を使う立場も使われる立場も同じようにわかるので複雑なんですよねー。そう言いながら結局何もしてあげられない自分は偽善者と言われても仕方ないですが・・・・・そんなコトを考えながら、一緒に飲んでた彼らは自分や家族や友人が同じようになっても同じことを言えるのかな・・・・なんて思ってたのでした。