間もなく五輪開幕

祝日を動かして明日から始まる4連休。そして東京オリンピックもいよいよ開幕です・・・が、こんな間際になってもトラブル続きでホントに大丈夫なのかと心配になります。

開会式の音楽制作を担当していたアーティスト小山田氏、文化プログラムに参加していた絵本作家・のぶみ氏、両氏の炎上騒ぎは聖火じゃない違うものに火を点けてしまいました。小山田氏は特に彼の楽曲を聴くほどではなく元フリッパーズギターやコーネリアスだということと名前を知ってる程度、のぶみ氏についてはまったく存じ上げませんでしたので、当然過去の言動も今回まで私は知りませんでした。

まぁ何と言いますか、とにかくヒドいです。いじめとか差別とかって言葉で片付けられないくらい、心の奥底にある核となる思想からしてそうなのかな、と思わせるレベル。不思議なのは、両氏ともそういう過去が既に明るみになっていながらも一定数の支持者がいて、その支持者はその点について何も思わないのか、あるいは当人も指摘されて改める機会はなかったのか、ということ。特に小山田氏のやったことはとても許されるようなものではないので、もし私が彼の音楽のファンだったとしても、その事実を知ったらとても受け入れることはできないです。のぶみ氏の絵本も子どもがトラウマ抱えるようなものがあると聞いて、小さいお子さんのいるお父さんお母さん方は他の作品も含めて彼を受け入れることってできてるんでしょうか?私は自分もトラウマになりそうで怖いので作品読んでませんが、そういう人だと聞いて積極的に読んでみようという気にはとてもなれません。

百歩譲って、世の中にはそういう人もある程度いるとしても、こういった世界的イベントに関わる仕事のオファーをする際にオファーする方は下調べをしないのか、調べてもわからなかったとしても当の本人が自分がそのオファーに適格な人物かという判断ができるか、この2点ができていれば防げた話で、防げなかったということは両方ともダメだったということになります。

で、今回の件に至るまでもこのオリンピックは金と欲と差別にまみれたダークな道のりを歩んできました。記憶に新しいところでも、女性蔑視発言で組織委会長を辞任した森喜朗元首相、渡辺直美を侮辱する演出を提案していた演出統括の佐々木宏氏など、普通に考えて問題のある思想の人を責任あるポストに据えるという異常さ。招致当時は世界一お金のかからないコンパクトなオリンピックを謳っていたはずが、いつの間にかそんなコンセプトは消え失せたし、同じく招致時に謳っていた「復興五輪」というワードも消え失せたし、コロナ過において多くの人たちが様々な我慢を強いられているのにオリンピックだけは例外とばかりに何でもアリ。平和の祭典・スポーツの祭典であるはずのオリンピックが、莫大な利権を奪い合うビジネスであり、その金を得るためならどんな手でも使い、本来の理念などすっかり失ってしまっています。

このタイミングでもまだ開催中止を求める声はあり、私自身も開催には否定的な立場です。しかしここまで来たらもう中止や延期はないでしょう。

気の毒なのはオリンピックを目指して努力してきたアスリートやその関係者、そして純粋に応援したいと思っている世界中の人たち。開催反対の声が大きい中で参加するアスリートには暖かい目ばかりが向けられるわけではありません。逆に参加を見送ったアスリートも然りです。そこに差別的思想の人たちが大会に泥を塗ってさらに状況を悪くしているのは競技に集中したいアスリートにとって余計な心労を受けるだけ。大手のスポンサーが五輪関係のCM自粛や開会式の欠席など、まるで火の粉がかかる前にと逃げ出すかのような異様な状況にもなりつつあり、色んな意見がある中で、せめて競技だけは公平にナチュラルな気持ちで臨んでほしい、そう願う人は多いのではないでしょうか。

パラリンピックが閉幕するまでの間にもまだ何か起きそうで、イヤな予感しかしません・・・。