東日本大震災から10年

今日で東日本大震災から10年となりました。

上の写真は正に10年前に撮ったもの。3月になったのにまだ雪ですかぁとガレージで撮ったこの数時間後にあの地震が起きました。

このブログも10年以上続いていることもあって、当時の気持ちがブログで残っています。

10年という長い年月が経ち、当時小学生だったウチの子どもたちもすっかり大きくなったことで時の長さを実感するのと同時に、10年も経ってるのにまだ故郷に戻れない人がいたり、原発事故だって終息の目途すら立ってないというのが悲しく思います。10年という区切りだって数字だけの話で、昨日と今日、今日と明日で何かが大きく変わるわけじゃないし、何かが終わるわけでもない。あの時、自分の人生において想像もできなかった大きな災害は10年経ってもまだ続いています。

コロナの影響で開催が危ぶまれている東京オリンピックにしたって、前は復興五輪だなんて叫ばれていたのが、会場建設で東北から人と資材・機材が消えてむしろ復興を阻害していたし、今となってはコロナ対策最優先で東北だの復興なんてキーワードはすっかり沈んでしまいました。

懸念の原発事故は予定ではそろそろ燃料デブリの取出しが・・・なんて時期のはずでしたが触ることすらできず、それでも現場で必死の思いで廃炉作業に取り組んでいる作業員の皆さんには感謝してもしきれないくらいなんですけど、一方でそれを統括する東京電力はあれだけの事故を起こして、テレビCMで事故を教訓に地震・津波対策に取り組んでいるなんてキレイ事を並べながら、やるべきことをやらないで隠蔽したり、あってはならないトラブルを起こしたり、内情はまったく反省の色なんてありません。10年経っても何も学べない企業に原発を動かす資格なんてあるはずもなく、2度目の大事故を起こす前に原発事業から撤退させるべきだと思います。

 

10年前、「絆」というワードが日本中に溢れました。

震災当時は日本中がみんなで助け合って、正しく「絆」というものを体現していたように思いますが、いつしか絆と称して真逆の行動をするケースも見られたりして、あの頃は絆という言葉がだんだん薄っぺらいものに感じるようになっていました。

10年経ってコロナ過の今、この国の政府が国民に向けて行っている対応というのが誰を守るためだか知りませんがあの頃の絆のようにあらためて薄いな~と感じるのは私だけでしょうか。

やっぱりね、愛が足りないんですよ、愛が。

困っている人を助ける、悲しい想いをしている人に寄り添う、10年前に当り前にあった人と人との優しさ=愛が、今の政府の10年にどれだけあったか。

この10年の間に東日本大震災以降も度々起こった地震や水害・台風などの数々の災害で私たちの災害対応スキルはかなり上がってきてるように思います。困った時に助け合う国民性もちゃんと根付いていると思います。しかし、このコロナ過において公助の前に自助・共助を真っ先に持ってくる政府の姿勢ってどうなの?って思うのですよ。自助は言われなくてもやるから、あなたたちの役目は公助でしょ?って、間違ってますか?

 

この先の10年後、「絆」という言葉がふさわしい優しさで溢れる国になっていてほしいなと思います。

そして、それを決めるのは政治家ではなく、私たちです。