稔りの証

いつまでも落ちたままでは先にも進めない。
いや、父が亡くなって間もないですから当然悲しみはあるわけですけど、悪いことばかりでもなかったので今日はそのことについて書きます。

 

病院で父が息を引き取ると、悲しみに暮れる間もなく早々に病院からは遺体の引き取りの話があり、葬儀屋に連絡するとすぐに通夜の段取りが始まります。遺族にとっては生涯に何回もないことでもアッチにしてみりゃ日常ですから当然のことで、日時はいつ、これはこうでといくつかの選択肢の中から選んでいくような感じで事務的に事は進んでいきます。
その中でも我々家族が困ったのが「通夜には何人くらいいらっしゃいますか?」というもの。
生涯営業一筋で生きてきた父は仕事柄方々に顔が広く、交流関係も多岐に渡るというのは我々も知ってはいましたが、それがどれくらいのもので、実際通夜に来るほどの間柄となるとどんなもんなのか、正直誰もよくわかりません。母の記憶を頼りに家族で相談し、これくらいは来るだろうという人数+20~30人くらいの椅子を用意しましょうということになりました。

そして通夜当日。
私ら家族の予想はものの見事に外れました。

受付に並ぶ人の数が明らかに多い。葬儀屋の担当の方が慌てて飛んでくる。このままいくと予定の倍くらいになるかもしれないと。

私も母も姉も、父を低く見積もり過ぎていたのです。

通夜振舞いの席ではいらっしゃったみなさんから父の話をたくさん聞かせていただきました。

「お父さんからはもっとたくさんの事を教わりたかった」
「お父さんがいねかったら今の自分はなかったて」
「お父さんにはね、敵が一人もいなかったよ。全部仲間だった」

お帰りになる時も私なんかより全然若いまだ20代であろう方が母に父との思い出を語り、涙を流していました。

 

私たち家族の知らない父。

どこにでもいる孫に激甘のじぃちゃんだと思ってたのに。

こんなにも多くの人と関わり、支え、支えられ、愛されていたなんて。

死んで、最後の最後で父の人生の縮図を見せてもらったような気がしました。

父を失い、もちろん悲しい気持ちが一番なのだけれど、そんな父を誇りに思うと同時に父が羨ましく思え、そしてどこか晴れ晴れとした気持ちにもなりました。

 

住職には「釋 証稔」という法名をつけていただきました。

父の名は「稔」といい、親戚の話では9月生まれにちなんで稲穂が「稔る」ということだそうで、営業一筋で実際には一度も稲穂を稔らせることはなかったのですが、多くの方々との間柄を稔らせ、人生においてその証を立ててきたという意味を込めて「証稔」とつけたそうです。

そのお話を聞いて、正にこの通夜にいらっしゃった皆様が父にとっての稔りの証なんだと思いました。

 

ちなみにこの住職がいらっしゃる専福寺というのは元々は妻の実家がお付き合いしていたお寺で、父と母は以前は別のお寺の檀家だったのですが、私が結婚してからしばらくした頃にそのお寺が代が変わって急に経営色が強くなったために離れ、何年かはお寺のない時期がありました。その後、妻の祖父が亡くなった時に葬儀に出た父が住職の話に感銘を受け、勝手に「死んだらこの寺に入る」と決めた次第なんです。
もちろん私と妻は寺の事まで考えて結婚したわけじゃないですが、私ら夫婦が父の稔りの一つとなるきっかけを生んだというのはなんだか不思議な縁を感じます。

 

果たして自分は父のような稔りがいくつできるのでしょうか。
あの通夜を思い出すと死んでも父を超えることはできないような気がしてます。