一夜明けて

長い地道な戦いの末に勝ち取った昨夜の試験焼却中止。

あれからTwitter上では喜びや感激の声がたくさん流れ、あらためてアクション起こしてくれた市民の皆さんに感謝する思いです。

 

が、しかし、

一方で試験焼却に反対した方々を非難する声もチラホラ。

「被災地のために広域処理は必要」
「困っているなら助け合うべき」
「反対してる人は自分さえよければいいのか」
「瓦礫は検査されていて安全なのになぜ拒む」

中にはもっと汚い言葉もあったし、今回だけじゃなく、今までだって何度も何度も言われました。

でも、それらの声を批判はしません。

瓦礫焼却に賛成の方も被災地の力になりたいという想いからの言葉でしょうから。

 

ただ、

瓦礫焼却賛成の方も、反対の方がなぜあれほどまでに必死で反対するのかを知ってほしい。

放射性物質は安全なのか。
チェルノブイリ原発事故で起きたこと。
焼却施設に潜む問題。
広域処理によって何が起ころうとしてるのか。
瓦礫焼却に絡む利権。
被災地の現状と本当に望んでいる事。

賛成してる方が不勉強だとは言いません。

でも、上辺のキレイ事で賛成と言うのではなく、それらの問題を知り、遠い未来も考えた上で判断してほしいんです。

それらを知った上で賛成と言うならそれは個人の判断で誰にも文句を言われる筋合いはないし、反対の人とも単に非難や罵倒だけの議論よりよっぽど建設的な話ができると思います。

福島第一原発事故以降、ぼんやりとした曖昧な不安の中で過ごしていた私も参加した説明会や抗議行動でネットだけではわからなかった多くの事を知りました。

だから賛成の人もできるだけ多くの真実を知ってほしい。

なぜ、地元のおじいちゃんが命を張ってトラックの前に座り込んだのかを。

 

先日の亀田での市民主催説明会で司会のマリオさんが教えてくれました。

かつて建設を巡って地域を二分した巻原発。もし計画通りに建設されていたらちょうど今年1号機軽水炉が運転開始になる予定だったそうです。

原子炉設置許可申請が出されたのが1982年1月。今から30年も前のことです。当時、私はその話があることは知っていたし反対運動があることも知ってはいましたが子供だった私にとっては完全に他人事。大人になってから地元の方から「あの時は町が真っ二つに分かれてすさまじい対立をしていた」という話を聞いた程度です。

福島第一原発事故を経験した今ならもちろん巻原発にも反対ですが、あの頃に地元の方々が反対していなかったら我々新潟市民は今よりもっと核の恐怖にさらされることとなっていたはず。今ごろになって反対してくれた事に感謝するのも図々しい話ですが、当時戦ってくれた方々にはありがとうとしか言えません。

 

では、今を生きる我々はどうか。

数年後、数十年後、子供たちに「ありがとう」と言われるのか、「なぜあの時反対してくれなかったのか」と言われるのか。

いや、私は別に子供から感謝してもらいたいなんて思ってません。病気になることもなく彼らの人生を謳歌してくれればそれだけで満足です。

そのためには何をするべきか。

考える日々はまだ続きそうです。