横田滋さん死去

昨日、1977年に拉致された横田めぐみさんの父、横田滋さんの訃報が報じられました。

以前から体調がすぐれないというのは聞いていましたが、日本国民の多くが解決を望み、私たち新潟県民としても関心の高いことでしたので、めぐみさんとの再会を果たせずに旅立ってしまったのはとても残念に思います。

私にも子どもがいます。もしまだ中学生の子どもが行方不明になったら心底心配しますし、拉致されたのなら心底返してほしいと願います。同じく子どもを持つ親御さんたち、子どもがいなくても自分の親兄弟や恋人、友人など、大切な人が同じ境遇になったらと我が身のことと考えれば横田さんの無念さを痛いほど感じることでしょう。めぐみさんにしても父親と再会を果たせなかったのはとても悲しいでしょうし、それを知らされないままというのも悲しいことです。

めぐみさんが拉致されてもう43年にもなるそうです。娘と引き裂かれたまま救出運動を続けてこられた人生の半分ほどの時間。その原動力は言うまでもなく「娘に会いたい」という一心です。そこにまた自分自身を重ねてみると、とても悲しく、つらい時間だったであろうと心が痛みます。

安倍総理は自らの在任期間中に拉致問題解決を解決すると繰り返し述べてきたわけですが、ご存知の通り拉致問題には何ら進展がありません。横田さんの訃報に「断腸の思い」と安部総理は述べたそうですが、断腸の思いなのは拉致被害者とその家族であり安部総理ではありません。こうなってくるとまるでやるやる詐欺のようではないかという思いまで湧いてきます。

とは言うものの、いくら安倍総理や日本政府が働きかけをしてみても相手が応じなければどうにもならないのも事実。私も以前、街頭での署名活動に署名したことが何度かありますが、どれだけの人が署名しても、拉致被害者家族がどれだけ多くの活動を行っても結局は相手次第ということに変わりはなく、それが何ともはがゆくやるせない気持ちにさせられます。

北に関しては拉致だけでなく核開発など様々な問題がありますが、全部一気に解決というのは難しいですし、正論が正論として通じる相手ではありませんので、ここはアメとムチをうまく使って、拉致被害者を返してくれたら一定の経済支援をするとか、相手を懐柔させる策も必要ではないかと思うのです。少なくともいつまでも届かない小さいマスクを配るよりよほど国民の理解を得られるお金の使い方ではないでしょうか。

横田さんだけでなく、拉致被害者家族の皆さんは多くが高齢になり、残された時間はあまり長くありません。せめて残された家族がご存命のうちに一目だけでも会える日が来ることを願います・・・。