コストで比べるものじゃない

10月末に発表された試算で「被害の想定が不十分」と指摘された原発発電コストが事故コストを見直して再度発表されたと。

<原発事故コスト>上乗せ最大1.6円 原子力委が増額修正(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111108-00000039-mai-soci

発生確率の甘さなどツッこみたい個所は一つや二つではないけれど、こういう計算でまだ原発は安いという流れを作ろうとしている魂胆が非常に不愉快。

 

安ければ何でもいいの?
放射能で健康が損なわれたり命を失ってもお金払えばOKなの?

 

以前、中部大学の武田氏もブログで取り上げていましたが、こういうのを見ると頭をよぎるのが「フォード・ピント事件」

 


ピントに纏わるエピソードとして最も有名なのがいわゆる「フォード・ピント事件」である。

先述の通り、短期間で市場に送り込むこととコスト削減の目的で通常43ヶ月を要する開発期間を25ヶ月で開発し市場に送り込んだが、開発段階でデザイン重視によるガソリンタンクとバンパーが近接した構造と、バンパーの強度不足により追突事故に非常に脆弱である欠陥が発覚した。しかし、フォード社は欠陥対策に掛かるコストと事故発生時に支払う賠償金額とを比較し、賠償金を支払う方が安価であると判断してそのまま放置した。

そんな折、市販された翌年の1972年にインターステートハイウェイを走行中のピントがエンストを起こし、約50km/hで走行していた後続車に追突されて炎上し、運転していた男性が死亡、同乗者が大火傷を負う事故が発生した。この事故での陪審評決でフォード社を退社した元社員らが欠陥を知りながら開発を進めた事実を証言し、コスト比較計算の事実も発覚した。結果的にフォードは多額の賠償金の支払いが課せられることとなってしまい、逆に経済的に打撃を受け、加えて製品の信頼性や同社の信用も失墜してしまう皮肉な結果となった。 フォードは対策としてガソリンタンクを車軸上に配置変更し、バンパーとガソリンタンクの強化を行う等の対策を取った。

この事件は今日まで大学での企業倫理系統の講義にしばしば題材として用いられ、20世紀フォックスが1991年に製作した映画『訴訟』(原題:Class Action)の題材となっている。

(以上、wikipediaより引用)


 

大地や海を汚染し、ふるさとを奪い、健康や命を脅かす原発をコストで考えるべきじゃないでしょ?

お金払ったって死んだ人は生き返らない。
命より重いものなんてないでしょうに。
コストで比較する前に危険度でも比較してくださいよ。

私はコストが高くても危険のないエネルギーを望みます。

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