空振りだったとしてもいいじゃない

大川小学校

 

東日本大震災で発生した津波によって児童・教職員が死亡・行方不明となった石巻市立大川小学校。その遺族が起こした裁判で石巻市と宮城県の責任を認めた判決を不服として控訴することを石巻市議会が議決、宮城県もそれに同調して控訴する方針を示した・・・・というニュースがここ数日の間にありました。

当時の状況について断片的にしか知らない私があれこれ言うのも筋違いかもしれませんが、想定を大きく超える巨大な津波の襲来まで予測できなかったとしても、グラウンドで待機していた時には市の広報車が避難を呼びかけていたことが事実であれば、やはり避難をさせなかった判断は誤りではなかったかという気がしてなりません。

ネットで見てると当時の状況がどうであったかを伝える記事がいくつか見つかり、その内容の真否まで判断はできないのですが、避難の際に児童がケガをしたらその責任は誰がなんて話を聞くと、日頃からの教職員の姿勢と言うか、何に重きを置いているのかという点を疑問に感じます。

 

このニュースを見て思ったんです。もし避難が空振りに終わっても、その責任って取る必要あるのかなって。裏山に避難して、結果的に津波が来なかったとしても、万が一に備えて児童を守る行動は防災に対する姿勢としては正しいはず。もちろん避難の際にケガをすることもあるかもしれない。でも、命を奪われるよりはずっとマシなはず。だったら防災への行動が空振りで終わってもそれはそれでOKとする意識がスタンダードになっている必要があるんじゃないでしょうか。

クルマで子どもが飛び出しそうな路地を通過する時に徐行して、結果誰も飛び出してこなかったからって文句を言う人はいないでしょう。

人間ドックで何も異常が見つからなかったとして、検査費用損したって思う人はいないでしょう。

万が一の備えは何も起きないのがベストです。

なので、もし空振りに終わっても避難の判断をした人を責めるのではなく「何もなくてよかったね」と思える意識が普通になってほしい。

大川小の悲劇を繰り返さず、教訓として後世に残すためにも。