家族

親父が死んでからというもの、しょっちゅう実家との往復を繰り返しています。

いろいろ手続きとかしなきゃいけないのがいっぱいあって、動けないお袋に代わってあっちへ行ったりこっちへ行ったり、そして実家に戻ってまたどこか。さらに以前は親父が送ってたお袋の病院通いもあるので、普段なら引きこもりのように仕事してるのがウソのように移動が多い毎日です。

ま、一生に何回もあることじゃないですしね。

ヨメさんも子供たちも協力してくれてるし。

特にヨメさんにはいくら感謝しても足りないくらい。

家族を失うのは悲しいけれど、同時に家族の暖かさも感じる今日この頃です。

ラジウムぅ?

世田谷で計測された高線量はその後、隣接する民家の床下にあったラジウム226とみられる粉状の物質が入ったビンが原因とされ、一部のビンには「日本夜光」という社名と思われる文字が書かれていたことからラジウムは夜光塗料につかわれていたものではないかというのが今のところの情報。

なんでそんなのが民家の床下にあったのか、
ビンを撤去して線量がどれくらい変化するのか、
この辺りは今後明らかになっていくのかもしれません。

ただ・・・・どーも腑に落ちないんですよねぇ。

高線量が計測されたという情報が出た時点では周辺を除染したら線量下がったって言われてましたが、床下のビンが原因だとしたら除染で線量が変化するはずはないですよね。
ラジウムはα崩壊してラドンになるそうですが、α線しか出ないなら一般に出回ってるガイガーカウンターでは計測できないはずだし、α線自体は紙一枚でも遮蔽できるほどなのに床下から離れた道路脇で計測されるのはなぜ?ちょっと調べると、いやβ線も出してる、いやγ線も出してる、との話もあるんですけど、いずれにしてもビンの中のラジウムだけで30μSv/h以上もの放射線が出るものなの?

なーんか、福島第一原発由来じゃなくてよかったよかった・・・・・って気にはならないんだよなぁ。

ただでさえわからないことばかりなのに、わからないことがどんどん増えていきますな。

相次ぐ高線量検出

昨日の記事で横浜でのストロンチウム検出や世田谷の2.7μSv/h計測について触れたが、今日もまた各地で高線量が検出という話が相次いでいる。

昨日の世田谷では更に高い3.35μSv/hが計測されたとか、千葉県船橋市では5.82μSv/hという恐ろしい数値まで出てきた。

いずれもほんの数m四方の一角がマイクロホットスポットとなっているので、その付近一帯が全体的に高線量というわけではないようだが、一部だけ飛びぬけて線量が高いというのはなぜそうなったかの経緯が気になる。単純に考えれば福島第一から飛んできた放射性物質が雨に流されて溜まったということなのだろうが、検出された地域の近くで汚泥を焼却したためではないかという推測もあるようなので、今後のためにも原因の検証はしてもらいたい。

それよりもっと気になるのは「なぜこのタイミングで」ということ。

今までも福島や関東では個人や専門家、NPOなどが計測を行い早いところは4月くらいから数値を発表して関東圏の汚染にも警鐘を鳴らしてきたのにマスコミはそれを隠すかのように完全スルーまたは過少報道。それが昨日と今日でのこのスピーディな報道はこれまでとまるで対照的。今まで気を使っていた東電と決別したとか正義に目覚めたというのはどうも考えにくいので、これは何かしらの意図があるような気がしてならない。

タイミング的に思い当たるとしたら福島県産米の出荷やTPP?
でも、結びつけるには微妙?
となればこれよりもっと隠したい大きなネタが出てきたか?

この件に関してはしばらくアンテナ張っておいた良さそうです。

 

あと、こんな記事も見つけてしまった。
福島に行くだけで衣服や持ち物が6.8マイクロシーベルト,放射線の計測,乖離のぶろぐ

 

もう怖すぎてどこにも行けません。

まだまだ出てくる

横浜でストロンチウム90が検出されたそうだが(⇒ 横浜でストロンチウム検出 100キロ圏外では初|asahi.com)事故が起きてから御用学者がデタラメ言ってるウラでマトモな学者やフリージャーナリストはヨウ素やセシウムだけじゃないと警告を発していたし、セシウムが飛んでくるなら他の核種も飛んできてる可能性が高いと考えるのが普通であって、「重いから飛ばない」と御用学者が必死で言ってたプルトニウムも測れば出てくる可能性はある。今まであまり表に出てこなかったのは主な計測器のほとんどがγ線しか測れず、β線を発するストロンチウム、α線を発するプルトニウムの計測自体ができなかっただけのこと。今頃急に横浜へピンポイントでストロンチウムが降り注いだわけではない。

 

世田谷区では歩道のとある個所で2.7μSv/hという高い線量が計測されたが(⇒ 東京・世田谷で高い放射線量=毎時2.7マイクロシーベルト、区が除染検討|時事通信)、こちらの2.7μSv/hという数値は除染後のもので、除染前は4.699μSv/hもあったそうだ。約4.7μSv/hというのは福島で児童に押し付けられた年間20mSv、3.8μSv/hよりも格段に高い数値である。

 

その他にもテレビや新聞で報じないものも含めると毎日毎日恐ろしい話がすごい勢いで出てきます。

 

まぁ、こんな話を聞いても平和ボケしている方は相変わらず何も感じないんでしょうね。

 

危機感持ってる方は最大限の防御・情報収集に努めてください。

数年後、泣かないために。

稔りの証

いつまでも落ちたままでは先にも進めない。
いや、父が亡くなって間もないですから当然悲しみはあるわけですけど、悪いことばかりでもなかったので今日はそのことについて書きます。

 

病院で父が息を引き取ると、悲しみに暮れる間もなく早々に病院からは遺体の引き取りの話があり、葬儀屋に連絡するとすぐに通夜の段取りが始まります。遺族にとっては生涯に何回もないことでもアッチにしてみりゃ日常ですから当然のことで、日時はいつ、これはこうでといくつかの選択肢の中から選んでいくような感じで事務的に事は進んでいきます。
その中でも我々家族が困ったのが「通夜には何人くらいいらっしゃいますか?」というもの。
生涯営業一筋で生きてきた父は仕事柄方々に顔が広く、交流関係も多岐に渡るというのは我々も知ってはいましたが、それがどれくらいのもので、実際通夜に来るほどの間柄となるとどんなもんなのか、正直誰もよくわかりません。母の記憶を頼りに家族で相談し、これくらいは来るだろうという人数+20~30人くらいの椅子を用意しましょうということになりました。

そして通夜当日。
私ら家族の予想はものの見事に外れました。

受付に並ぶ人の数が明らかに多い。葬儀屋の担当の方が慌てて飛んでくる。このままいくと予定の倍くらいになるかもしれないと。

私も母も姉も、父を低く見積もり過ぎていたのです。

通夜振舞いの席ではいらっしゃったみなさんから父の話をたくさん聞かせていただきました。

「お父さんからはもっとたくさんの事を教わりたかった」
「お父さんがいねかったら今の自分はなかったて」
「お父さんにはね、敵が一人もいなかったよ。全部仲間だった」

お帰りになる時も私なんかより全然若いまだ20代であろう方が母に父との思い出を語り、涙を流していました。

 

私たち家族の知らない父。

どこにでもいる孫に激甘のじぃちゃんだと思ってたのに。

こんなにも多くの人と関わり、支え、支えられ、愛されていたなんて。

死んで、最後の最後で父の人生の縮図を見せてもらったような気がしました。

父を失い、もちろん悲しい気持ちが一番なのだけれど、そんな父を誇りに思うと同時に父が羨ましく思え、そしてどこか晴れ晴れとした気持ちにもなりました。

 

住職には「釋 証稔」という法名をつけていただきました。

父の名は「稔」といい、親戚の話では9月生まれにちなんで稲穂が「稔る」ということだそうで、営業一筋で実際には一度も稲穂を稔らせることはなかったのですが、多くの方々との間柄を稔らせ、人生においてその証を立ててきたという意味を込めて「証稔」とつけたそうです。

そのお話を聞いて、正にこの通夜にいらっしゃった皆様が父にとっての稔りの証なんだと思いました。

 

ちなみにこの住職がいらっしゃる専福寺というのは元々は妻の実家がお付き合いしていたお寺で、父と母は以前は別のお寺の檀家だったのですが、私が結婚してからしばらくした頃にそのお寺が代が変わって急に経営色が強くなったために離れ、何年かはお寺のない時期がありました。その後、妻の祖父が亡くなった時に葬儀に出た父が住職の話に感銘を受け、勝手に「死んだらこの寺に入る」と決めた次第なんです。
もちろん私と妻は寺の事まで考えて結婚したわけじゃないですが、私ら夫婦が父の稔りの一つとなるきっかけを生んだというのはなんだか不思議な縁を感じます。

 

果たして自分は父のような稔りがいくつできるのでしょうか。
あの通夜を思い出すと死んでも父を超えることはできないような気がしてます。