東電・東北電が原電支援?

茨城県東海村の東海第二原発の再稼働を目指す日本原子力発電(原電)は東京電力ホールディングスと東北電力から安全投資の資金支援の意向を伝えられたと原子力規制委員会に報告した・・・というニュースがありました。

原電は原発オンリーの電力会社のため、保有する2つの原発が停止してる状況では自力で安全対策の資金調達ができず、東電と東北電に支援要請(中部電力にも打診してるが回答はないらしい)したとのことで、今回の資金調達の目途が立ったことで東海第二原発の安全審査も進められることになるようですが、東海第二原発は今年11月で稼働から40年を迎えるため、11月までに審査に合格しないと40年ルールで自動的に廃炉が決まるので、規制委員会も11月までに合格を出す方向にいるのは間違いないと思われます。

えーと、そこまで再稼働に固執するのはどうしてでしょう?7年前の悪夢を考えれば自己資金も確保できない電力会社に原発の運用を任せて果たして安全が保たれるのかはなはだ疑問。

そして最悪なのは東電ですよ。7年経っても福島第一原発事故の終息はまだまだ見えず、経営者の事故の責任もまだ問われてないし、巨額の国費が投入されている一方で経営は黒字化、なのに原発被災者への支援を次々と打ち切った上で他社へ資金援助って、自分の立場まったくわかってないですね。

一番困ってるのは原電じゃなく被災者だろうがっ!

東海第二原発の安全対策に必要な費用は1740億円にもなるそうです。東電と東北電の出資比率はわかりませんけど、それだけ出せるなら本来使うべき用途に使うべきでは?

最近は各地の原発でマイナートラブルが続発しています。いずれも重大事故に直結まではしてませんけど、老朽化の進んだ原発で今後も同じようなトラブルが続く可能性は高いし、最悪の場合は福島第一原発と同じような事故が起こる可能性もゼロではありません。既に審査に合格して再稼働した原発ですらこうなのですから、規制委員会の審査というのも万全ではないというのもよくわかります。

もういい加減あきらめたらどうでしょう。

 

7年

またこの日を迎えました。

 

昨日、今日とテレビでは震災特番やニュースでも震災に触れています。

その中で度々耳にするのが「あの日を忘れない」というフレーズ。

テレビで言われなきゃ忘れてしまうほど忘れてしまってる人ってそんなにいるんでしょうか。

毎日毎日そのことばかり考えているわけではないけれど、あれから7年経って忘れたことなんてないんですけど。

 

7年経って、形としての復興は進んでいるようにも見えるけれど、あの日からちっとも進めないでいる方もまだまだ多い。

震災や原発事故による避難者は年々減少し、数字の上では帰還が進んでいるように見えて、実際は復興も帰還もできないのに支援が打ち切られたことで避難者から「自主」避難者になったことで統計上カウントされなくなっただけという現実もある。

7年も支援したんだからそろそろ自立してよ。
居住制限も解除したからあとは戻ってがんばってね。

そんな簡単な話で済むならむしろ7年もかかってないと思う。

避難指示が解除されても戻るのは1割程度ではそこで永続的な生活をすることはできない。若い人が住まなければ子どもは生まれないし、学校もできない、病院もできない、雇用も生まれない、事業も行えない、住民サービスも滞る、負のスパイラル。全国にある過疎化によって限界集落となっているのと何ら変わらない。

私には、行政の方こそが震災や原発事故を早く過去のものにして忘れたがってるように思える。

東京オリンピックで「日本は復興しました!」と現実を無視した数字を世界に向けて発信したいのでしょうか。

 

先日、原子力規制委員会の更田委員長が会見で「事故から7年ではなく、事故は7年続いている」と述べたそうですが、更田氏に言われるまでもなくそんなことは当たり前で、7年経っても終息の目途すら立たない原発事故が進行中であるにも関わらず、各地の原発再稼働へGoサインを出す規制委員会こそ大事なことを忘れてしまっているのではないかと。

阪神淡路大震災と東日本大震災で大きく異なるのは「その地で復興できるか否か」という点。阪神淡路大震災では大変大きな被害は出ましたが、再びその場所で復興することが可能で、住む場所が奪われたり人口が大きく減少するということはありませんでした。が、東日本大震災は福島第一原発事故があったことで、その場所に再び戻れない人が生じてしまいました。

地震や津波など自然災害は防ぐことができなくても、原発事故によって住む場所を奪われることは防ぐことができる。

7年前に我々に大きな衝撃と共に与えられた教訓こそ、絶対に忘れるべきではないと思います。

 

核兵器は絶対悪

12月10日、ノルウェー・オスロでのノーベル平和賞授賞式で国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」と共に核兵器禁止条約の採択への活動を行ってきたサーロー節子さんがスピーチを行いました。

スピーチ全文和訳はこちらからご覧ください

私は肉声をちょっとしか聴いていないのですが、文字だけでもサーロー節子さんの核廃絶への強い想いがとても伝わってくるし、核がもたらす悲しみ・怒り・憎しみ・絶望・無力感・非人道性・・・等々、頭では理解していたはずの当り前のことを改めて突き付けられたような気がしました。

この件で新聞では記事とスピーチ全文が掲載されていましたが、テレビのニュースではあまり触れられていないように思います。ICANのノーベル平和賞受賞が決まった時もそうでしたよね。核の傘に守られている日本はこの話を大々的に国民に知られたくはないのです。もちろん核保有国は授賞式を欠席しています。

河野外務大臣は11日に「日本政府のアプローチとは異なるが核廃絶というゴールは共有している」と談話を出しました。この言葉に多くの方は空々しい建前と思ったのでは。少なくとも私はそう思いました。核廃絶へのアプローチは複数あってもいいでしょう。本当にゴールが共有できているなら。しかしICANや核兵器禁止条約と歩調を合わせない必要は本来ないはず。むしろ日本がイニシアチブを取って進めていってもいいくらいなのに。

戦後72年経って被爆者の多くはご高齢で、サーロー節子さんも85歳です。あと10年も経てば原爆の原体験を語れる方はほとんどいなくなってしまいます。写真や文献でも核兵器の恐ろしさは知ることができますが、サーロー節子さんのスピーチのように魂からの叫びに勝るものはありません。今回のスピーチで被爆者の声が世界に発信されたことは歓迎されることではありますが、個人だけでなく被爆国として国を挙げて核廃絶を訴え、核保有国との橋渡しとなって世界的な舵取りをしてほしい、そう願います。

 

核とは少し話がズレますが、北朝鮮による拉致被害者・曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ジェンキンスさんと、増元るみ子さんの母・信子さんが相次いでお亡くなりになりました。核廃絶と同様に拉致被害者の帰国も一向に進んでいません。拉致被害者家族もご高齢ですので、帰国・再会を果たせないまま旅立っていく家族が今後も続くかもしれません。

これは勝手な憶測ですが、この国の政府は原爆被爆者も拉致被害者も亡くなるのを待っているような気がしてなりません。亡くなってしまえば問題への声は小さくなっていく。いつか「そんなこともあったね」と国民の記憶が風化していくのを待っている・・・というのは考え過ぎでしょうか。

 

だからこそ、今を生きる我々世代が語り継いでいかなければ、と考えさせられました。

 

Boston Dynamics Atlas

ボストン・ダイナミクス社が開発中の人型ロボット「アトラス」の能力がハンパないと話題になっていますね。

一昔前は二足歩行だけでもすごいって言われてたのに、今やバク宙するまでに進化。動画の一番最後で失敗してコケてるのはまだまだ未完の域であることを感じさせはするものの、間違いなく現時点で世界トップレベルであることは間違いないだろうし、コケてる様子はむしろ妙な人間臭さすら感じてしまう。

ASIMO、元気してる~?(笑)

ボストン・ダイナミクス社は現在ソフトバンクに買収されているそうで、あと数年後にはアクロバティックな動きをするPepperがリリースされているかもしれない。あんまり見たくないけど(笑)

で、人型ロボットが進化していく中で期待されるのはやっぱり原発の廃炉作業。福島第一原発にはこれまでもいくつかのロボット(人型ではない)が投入されていますが、そのほとんどが失敗に終わっています。ボストン・ダイナミクス社のロボットが高線量地域で正常に動作できるかはまだわかりませんが、生物が入って行けない場所での作業にロボット技術は不可欠。きっとボストン・ダイナミクス社もソフトバンクもその使命を意識してはいるはず。

逆に心配なのは兵器転用。今でもドローンで爆撃とか武力攻撃の無人化・自動化が進んでいて、人間はまるでゲームをするかのようにその様子をモニターで見るだけという時代になっていますが、武器が何になってもその先にあるのは人の命。戦争まで行かなくてもテロにロボットが使われるようになったら世も末です。

素晴らしい技術は人を守ることだけに使われてほしいですね。

 

核兵器禁止条約に賛成できる国に

今年のノーベル平和賞をICAN(International Campaign to Abolish Nuclear Weapons:核兵器廃絶国際キャンペーン)が受賞しました。

ノーベル賞委員会からの選定理由コメントは「核兵器廃絶国際キャンペーンは人類の惨禍を招きかねない核兵器の危険性を国際社会に知らせ、核兵器禁止条約の採択に寄与した」というもの。今年7月に国連で核兵器禁止条約が採択されたのは記憶に新しいですね。それだけ世界平和にとって核兵器禁止条約がとても意味のあるものであることの表れで、また、その採択に至るまでの道のりの険しさも称えられる理由の一つだったのではないかと思います。

日本の被爆者団体や平和団体もこの受賞を喜んでいて、私もとってもうれしく思いますねー。ノーベル賞が欧米の核保有国の顔色を伺うことなく、「良いものは良い」という当り前の信念を貫いたことも評価します。

しかし、残念ながら肝心の核保有国やその同盟国、そこには日本も含まれますが、核兵器禁止条約に賛成していないのはご存じの通り。保有国が参加しない条約では効力は限定的ではあるのですが、今回のノーベル平和賞受賞によってその意味合いが増したのは確実。きっと条約非参加国はバツが悪いでしょう。事実、日本はこの受賞に対しては完全ノーコメント。世界で唯一の戦争被爆国がこの受賞に何も言えないってのはなんとも情けない話です。

これはまずありえない話ですけど、もし安部総理が就任からの約5年の間に核兵器廃絶に向けて関係各国に働きかけ、核兵器禁止条約採択に主導的な役割を果たしていれば、安部総理がノーベル平和賞候補になっていた可能性もあるわけです。稀代の悪代官として名を残すより、世界平和に尽力した人物として名を残す方がはるかに誇らしいことなんですけどね。

アメリカの核の傘に守られながら核兵器廃絶を訴えるのは矛盾があるとは思います。しかし、唯一の被爆国として核兵器の非人道性をリアリティを持って訴えられるのは日本しかないわけです。原爆を落としたアメリカの顔色を伺うのではなく、同盟国であっても「ダメなものはダメ」と言うべきことは言わなくては。仮に日本が他国から攻撃されても核兵器だけは使うな、くらい言ってもいいんじゃないでしょうか。

政局は先の見えない状況ではありますが、ぜひ日本には胸を張って核兵器禁止条約に賛成できる国になってほしいと願います。