泉田知事、12年間ありがとうございました

 

今日、10月24日をもって泉田知事が知事を退任されました。

3期12年という長い間、新潟県を支えてくださったことにはただただ感謝しかありません。

泉田知事、お疲れ様でした。そして大変ありがとうございました。

 

先日、中越地震から12年が過ぎました。泉田知事の就任直前に起きた中越地震への対応から始まった泉田県政は常に弱者に寄り添う姿勢があったと思います。

何日か前に泉田知事へのインタビューを見たのですが、中越地震発生の1週間ほど後に被災地で話を聞いた時に、配給されている食事が冷たいおにぎりとファンタだったことに申し訳ない気持ちだった泉田知事に対して現地のおばあちゃんが「こんなによくしてくれてありがとう」と言われた、というエピソードを話していて、その当時を思い出してインタビュー中にもかかわらず目頭を熱くし声を詰まらせていた泉田知事の姿は泉田知事の人となりが表れているなぁと感じました。県のリーダーが感情に動かされるのは必ずしもあるべき姿とは限らないのかもしれないけれど、事務的に無感情でいるよりも、温かいハートで県民と接する姿勢があったからこそ、この12年間新潟を守ってこれたのだと思います。

また、この12年間で印象的だったのははやり震災対応。中越地震、中越沖地震、そして東日本大震災、その他各地での豪雨・台風・豪雪などなど、数々の震災への対応においても知事として立派に対応されてきたと思います。2014年2月の山梨豪雪の時にも、どこぞの総理大臣が天ぷら食ってる一方で泉田知事は迅速に除雪チーム派遣に動いていたのは記憶に新しいところです。

とりわけ私の中で泉田知事への信頼がグンと増したのは福島第一原発の免震重要棟の件。中越沖地震で被害を受けた柏崎刈羽原発に防災対策として免震重要棟の設置を求め、同じ東電が管理する福島第一原発に免震重要棟がないのはおかしいよねと作らせた福島第一原発の免震重要棟が完成したのは東日本大震災の8ヶ月前。もし免震重要棟が作られなかったor完成が8ヶ月以上あとだったら、福島第一原発事故はもっと悲惨な状況になっていました。これが泉田知事でなかったら免震重要棟なんて発想がそもそもなかったかもしれなくて、大袈裟でなく、泉田知事は日本を救ったと言っても過言ではないくらいの功績を残したと思います。

この前、ふと想像してみたんです。もし先日の知事選で米山さんに敗れたM候補が勝っていて、その後に東日本大震災が起きていたらどうなっていたかって。瓦礫はガンガン燃やされていただろうし、柏崎刈羽原発も広瀬社長に二つ返事で再稼働されていただろうし、福島からの避難者の支援も早々に打ち切られていたでしょう。もうね、寒気しかしませんでしたよ。県知事というたった一人の人が誰であるかというだけでこうも違った結果がもたらされるのかと考えたら、やっぱり誰を選ぶのかって選挙はとても大事だなって再認識しました。もちろん誰が出てくれるのかってそもそもの大事なところもありますけどね。

 

そんなに以前から政治に注目していたわけじゃない私ですが、今まで見てきた政治家でこんなにも素晴らしい人を他に知りません(最悪だなと思う人はたくさん・・・・)。重箱の隅を突けば100点満点でないところもあるかもしれないし、最後の出馬撤退は今でもモヤモヤする部分はあるけれど、おかしいことにはおかしいとちゃんと言い、弱者目線で命をかけて県政に取り組んできた知事なんて他にいないですよ。

知事選では泉田路線を引き継ぐ米山さんが勝ち、その結果は喜ばしいものですが、その一方で新潟県知事が泉田さんでなくなってしまう寂しさ・悲しさも結構大きくて、しばらくは泉田ロスに陥りそう。

しかし、この12年間の泉田県政に深く感謝し、泉田知事が築き上げてきたものを無駄にしないために、米山新知事を支え、県民の一人として未来に残せる希望ある新潟にしていく力に微力でもなれたらいいなと思っています。

そして、泉田さんにはしばらくゆっくり休まれたら、また別の形で県民・国民の力になっていただけたらどんなに嬉しいことか・・・・・。泉田さんのポテンシャルをこのまま埋没させてしまうのは実に惜しいです。いや、これは泉田ファンの勝手なお願いですね(汗)。

 

あらためて、

泉田知事12年間ありがとうございました!!